「はらから」には、「同胞」「同じ腹から生まれた」という意味があります。
私たちはみんな同じ腹から生まれた仲間です。
障がいのある人もない人も、みんなが笑顔で楽しく暮らしていける我が家をつくりましょう。

新着情報

2024.04.10
広報紙「はらから第14号」発行
2023.10.10
広報紙「はらから第13号」発行
2023.04.10
広報紙「はらから第12号」発行
2023.03.01
はらから5周年
2022.10.10
広報紙「はらから第11号」発行
2022.07.01
グループホーム3番館.4番館入居開始
2022.06.17
グループホーム3.4番館引き渡し
2022.05.27
グループホーム3.4番館内覧会と入居説明会(5月27~29日)
2022.04.10
広報紙「はらから第10号」発行
2022.01.28
ブログを開設しました
2022.01.17
グループホーム3.4番館 上棟式
2021.11.03
グループホーム3.4番館 地鎮祭
2021.10.10
広報紙「はらから第9号」発行
2021.04.10
広報紙「はらから第8号」発行
2020.10.28
グループホームはらから3番館・4番館のご案内
2020.10.10
広報紙「はらから第7号」発行
2020.07.01
法人本部と相談支援事業所の住所が変わりました
2020.04.10
広報紙「はらから第6号」発行
2020.02.07
「とりあえずHPエピソード大賞2019」の準グランプリ受賞
2019.10.01
広報紙「はらから第5号」発行
2019.05.25
第6回NPO法人はらから定期総会開催
2019.05.15
千葉市ゆうあいピックへ参加しました
2019.04.10
広報紙「はらから第4号」発行
2019.03.28
はらから・和音開設一周年記念パーティーが行われました。
2019.01.10
広報紙「はらから新年号(第3号)」発行
2018.12.25
デイサポート和音でクリスマス会が盛大に行われました
2018.11.14
短期入所の見学会を行います。
2018.08.01
広報紙「はらから第2号」発行
2018.05.20
第5回NPO法人はらから定期総会開催、 リーフレットが新しくなりました。
2018.05.16
千葉市ゆうあいピックへ参加しました
2018.05.04
和音の日中活動が活発になってきました!
2018.04.10
広報紙「はらから第1号」発行
2018.03.01
相談支援事業所の事業所名が変わりました。 NPO法人はらから地域相談支援事業所ここから →相談支援事業所ここから
2018.03.01
グループホームはらから、デイサポート和音開所
2018.01.15
「とりあえずHPエピソード大賞2017」の佳作受賞
2018.01.04
内覧会のご案内
2017.12.16
リーフレットを新しくしました
2017.11.05
第4回NPO法人はらから定期総会開催
2017.09.20
新規事業スタッフの募集を始めます
2017.09.18
10月1日よりグループホームの入居申込受付を開始します
2017.09.01
地鎮祭が執り行われました
2017.08.03
新規事業予定地の開発許可が下りました
2017.08.01
地域相談支援相談支援事業所「ここから」開設
2017.07.01
法人事務所を緑区おゆみ野南より東山科町へ移転
2017.06.25
第3回NPO法人はらから定期総会開催

はらから物語6  

暮らしの中の自己決定

 毎年、はらから和音の土手一列に水仙の花が咲きます。はらからが始まった頃、近所の女性の方が一人で黙々と球根を植えてくださいました。あれから6年、球根がどんどん増え、今年は特に可憐な花をいっぱい咲かせています。はらからの前の道を通る学生さん、仕事でバス停へ急がれる方、車で通勤される方、日中散歩をされる高齢の方、ランニングされる方、たくさんの地域の皆様がはらからの花壇を楽しみに見守ってくださっていることに感謝申し上げます。

 はらからの利用者と職員が織りなす生活も日々変わってきています。開所当時、職員みんなで袖ケ浦福祉センターへ自立課題の研修に出かけました。研修の内容がつかめず、ちんぷんかんぷんでした。利用者と手探りの日々が続きました。今では、正規職員のほぼ全員が行動障害の研修を受けております。介護福祉士、社会福祉士の試験にも積極的に取り組み合わせて18名となりました。職員同士の会話にも専門職らしい支援内容にかかわる課題が交わされるようになりました。

はらからは重度の利用者の生活の場です。ほとんどの方が話ができず片言やオウム返しの言葉、声だけで生活されています。その日々の中で職員たちは、利用者お一人おひとりの口から発せられる言葉、声、表情、動作、様子から生活支援、共に暮らすすべを考えていきます。「あーかな?こーかな?」その先にお知り合いとなり、生活しやすい関係ができていきます。何をしたいのか、何を考えているのか、食べたいのか、いらないのか、楽しいのか嫌なのか、いったい何がしたいのか途方に暮れることも多く、体調が悪い時をどう表現、知らせてくれるのか不安な夜もありました。日々の暮らしでしか会得することができない支援技術の学びの場でした。

  6年が過ぎました。最近職員から聞かせてもらった話です。「利用者はどの方も我が強い。決して職員の思い通りにはならな。それでいいんだよね。ここで自分が出せることがいい。そうでないと生きている意味がない。生きている価値がないと思う」 

  今年の冬、上着を着ていただこうとしてもすぐに脱いでしまい、風邪をひかせてはと心配して何度も挑戦しても駄目した。お母さまに相談すると「Rさんが決めるのよ」とのこと。夕食も食べ始めはいいのですが、途中から食器を押していらないといった動作を繰り返し、「Rさんが決めるのよ」と。元気に笑いながら歩き回っていたかと思うと、畳に横になり、周りを見ていて気になることがあると立ち上がり、どこまでも職員を追いかけて歩き回る。「自分の行動は自分で決める」ある日突然階段を一人で上っていく。職員はびっくり危ない、危ないと支える職員の手を力強く払いのける。まさに「自分の好きにさせてよ」と言っているようでした。

嫌なことは嫌、梃子でも動かない;いいこと
やりたいことがやれるのは;;;;いいこと
言いたいことが言えるのは;;;;いいこと
食べたいものが食べられるのは;;いいこと

 利用者お一人おひとり、生活の中で自己決定して、自分で発信されています。職員はその場面を見つけて応援するのが仕事です。これからも、はらからの支援は本人が決めます。利用者お一人おひとりと職員一人ひとりの関係づくり、関係があって、認め合う関係があって快適な生活が成り立ちます。長いお付き合いでしかお互いを分かり合えません。「Rさんが決めるのよ」利用者が決めたことを見つけ認めることを大切にする支援を続けていきたいと思います。

☆自己決定とは、自分の意志と判断によって自らの生き方を選択し決定していくこと。人にはその権利と欲求があり社会はそれを認めるということ。

令和6年4月10日    代表理事 槌屋久美子  

はらから物語5  

『生活支援入浴』
 
湯船に入ると思わず「ああ・・・」と、声が出て自然に体がほぐれて笑顔になります。はらからの日中活動和音には、建物の建設時に「楽しいお風呂時間」を夢見て作った入浴設備があります。開所したばかりの頃、新しい環境に慣れない利用者の不安、支援に慣れない職員達の戸惑い、信頼関係が出来ていない事で、入浴支援に大切な落ち着いた雰囲気を作ってあげることが出来ず、日中活動での入浴をあきらめ、夢の浴室は5年間物置となってしまいました。その後、入浴の場はグループホームへ移り、お一人お一人入っていただく個浴で、介助に入る職員と利用者の関係作り「お互いを知り合う場」となりました。

 今年四月、新しいグループホームの生活も少し落ち着いてきたところで、麻痺やてんかんをお持ちの方が多い、たくさん歩く事が出来ない、感性が豊かで柔軟性と多様性がある、入浴を楽しむ等、女性利用者の特性を、いろいろな角度から検討し、日中活動入浴を開始しました。

 職員達には、戸惑いや不安は大きかったと思います。幸い、介護福祉士を持った職員達が先頭になって、丁寧な入浴シーンを作り出していきました。浴室の雰囲気作り、衣類の置き場、椅子の置き場、選曲された音楽、本人利用者達への繰り返しの事前説明、無理に誘導せずお一人お一人に時間をかけ本人の動きを確認しながら湯船への誘導、楽しい声かけ、湯船で楽しむ時間、入浴後のまったりした時間まで演出されています。自然と職員と利用者の信頼関係も出来てきたように思えます。そして何よりも職員達の学びの場、入浴は、ただ体をきれいに洗ってやる場所、時間ではなく、他人の中で生きる緊張した利用者が、体の力を抜いてすごせる場所であると利用者達から感じ取っています。入浴支援は、職員にとっても、緊張して神経を使い体力を使うハードな仕事です。お互いに安心、安全は、利用者と職員の信頼関係が出来て成り立つと思います。職員の技術の向上は、その信頼関係があって向上していきます。

 生活支援は、毎日の積み重ね、長い時間がかかります。目の前の利用者と日々向き合っていくことでしか、答えはみつから無いと思います。

令和5年10月10日    代表理事 槌屋久美子  

 

 

はらから物語4  

 今年の春、彼は48才になります。5才の頃初めて歯医者さんへ行くことになりました。43年前当時は、障害を持った子供達の歯の治療をしていただける病院が少なくお母様は、探して探してやっとみつけた歯医者さんでした。お母様は目を離すとどこかへ行ってしまいそうな彼の手をつなぎ電車を乗り継ぎ病院へ向かいました。その道のりはとてもとても遠く感じたことを覚えているそうです。やっとたどり着いた病院で初めてのところが苦手な彼は大きな声で泣き続けました。「大丈夫痛くないからね」と繰り返していると先生が「お母さん子供に嘘をついてはいけません」と言われたそうです。お母様から一人離れ診察室に入った後もずうーと泣き続け親子で泣きながら帰ったそうです。その後成人になりその歯医者さんで治療するたびに、お母様や施設の職員達の付き添いエピソードは語り継がれるほどのものがあります。場面の変更や内容の変化、特に通院など、怖くて怖くて。繰り返し繰り返し確認の言葉が続き、我慢できなくて頭を叩きながら飛びはねを繰り返し、周りの物に当ります。怖さとの折り合いを付けるかのように暴れます。歯医者さんへの通院も受け入れるまで歯医者の先生、付き添うお母様、関わった職員達の工夫と努力の日々でした。
 初めての歯医者さんから43年。今年の節分豆まきの日、まめを食べて、並んだ前歯のブリッジが外れてしまいました。彼はびっくりしたような表情で   「セバタ行く」と・・・・。手には外れた歯が握られていました。病院へ連絡するとすぐに予約を入れてくださり、通院まで落ち着いて「セバタ行く」を繰り返しました。はらからでは初めての通院です。付き添う職員も緊張して、ひやひやどきどき、ところが彼は一人で診察室に入り、落ち着いて治療を受けることが出来ました。通院後は、 「セバタ行く」の言葉が「歯つける」に代わり不安そうだった表情も笑顔に変わりました。
 『変化』、変わる事へとても不安が強い利用者にとってそのことを受け入れることに、たくさんの時間がかかります。それでも向かい合って繰り返し一緒に場面を共有していくことで『変化』を受け入れ周りの人たちも受け入れていく。支援とは続けて行くこと、続けて行くことでしか見えてこないことがあります。私も若い頃は、支援に結果を求めあがき苦しみました。人の支援とは、結果を求めることではなく、一つ一つの出来事に一緒に向かい合い続けて行く事であると改めて教えられました。43年間見守って治療いただいた瀨畑先生に心から感謝申し上げます。歯科講習でも利用者支援に大切な姿勢などたくさんのことを学ばせていただいております。これからもよろしくお願い申し上げます。


令和5年4月10日    代表理事 槌屋久美子  

 

 

はらから物語3  

7月11日グループホーム女性の利用者3名が発熱、コロナ抗原検査(+)すぐに借りてあった一軒家へ隔離、最初の一夜を一緒に過すことになりました。3名それぞれに行動障害もあり身体的にもハンディーをお持ちでした。どうなることか不安もありましたが利用者を信じて支援体制が決まるまで私が見ることになりました。現在の限りある職員資源の中で、利用者の特性を理解している、コロナ感染の経験がありワクチン3回、抗体が一番着いているであろう、利用者が重症化した場合の判断責任者であることなどの条件から一番高熱が続くひと晩目を受け持つことになりました。
 静養生活開始。寝床を本人の布団でそろえ、衣類を整理して必要なオムツや消毒液、ぺーパーやゴミ袋の設定を行い、職員の待機場所の設定、スポーツドリンクや麦茶、紙コップの用意など、防護服マスク、キャップ、フェイスシールド、記録場所の設定、基本のレッドゾーン、グリーンゾーンイエローゾーンの設定を行いました。体温計パルスオキシメータの設置場所を決め、一人で支援する場合のリスクを考えて、動線にあった消毒液、水分の置き場も決めました。 
 一人の場合、歩き回ることで利用者は不安になり動き回ることが見られます。できるだけそばにいてあげられる物の設定が必要と考えました。夜間は睡眠をできるだけ取らせる、クーリングをきちんとはめ込む、起きた都度水分を取らせる。失禁は覚悟する。着替えは目が冷めた時清拭タオルもセットしておく。眠っているときは見守る。3人を同時には見られない。優先順位を見極める。
 まるでパズルをはめ込むような夜でした。それぞれが40度の熱が続き、なかなか動かず解熱剤で下がるもまた上がる。熱が下がらずアイスノンの換えがなくなると冷えたスポーツドリンクのペットボトルを脇に挟み、枕にしました。3名共に水分は体が求めるかのように、がぶがぶ二リットルのスポーツドリンクを飲み干してくれました。きっと熱は下がると確信した瞬間でした。
 明け方しめったパジャマのぬくもりにたっぷりの発汗が見られ、37度台の熱で目覚めました。3名共に失禁は見られません。自分から支えられながらもトイレに向かわれました。朝食は座敷テーブルで足を伸ばして座り、それぞれしっかり食べることができました。
 この3名は同じグループホームで過ごす仲間、顔見知りだったことも安心して一夜を過ごせた要因だったと感じました。
 日中活動では歩く事をずっとテーマに活動してきました。普段の基礎体力が助けてくれました。てんかんやダウン症など基礎疾患を持ちながらも日々を楽しく積極的に生き抜いている利用者の底力を見せていただきました。ありがとうこれからも君たちを信じています。一緒に生きていこうね。


令和4年10月10日    代表理事 槌屋久美子  

はらから物語2  

 今年も大宮のあちらこちらに桜がとてもきれいに咲いています。五年目の春を、利用者、職員みんな元気で迎えられたことに心より感謝しています。
 五年目のはらからは、グループホーム増設、生活介護事業定員増員を行います。それに伴い法人運営のコンプライアンスの強化、はらからを利用していただく皆様に安心、安全で楽しく過ごしていただくための建物環境の充実に取り組みます。職員たちは、支援技術の向上のため、現場で役立つ技術の研修に取り組みます。いろいろな体験の中で変わっていった利用者の皆様の姿に、四年間の手探りの時期から一歩前に踏み出す事の大切さを感じています。『施設は五年ごとに良いようにも、悪いようにも変わっていく生き物なんだ。』とつぶやいた先輩施設長がいました。『これでいいんだ』と現状に甘んじることなく現場に立っていきたいと思います。
 この春、二名の職員が未来に向かって旅立ちました。毎日学校帰りに五時から九時まで、利用者の方の身の回りの準備、お風呂の掃除、歯磨き、布団敷き、室内消毒など支援員の助手として働いてくれました。大学に合格し出発しました。もう一人は、コロナで留学先から帰国しグループホームで働いていた支援員が、復学のためオーストラリアへ旅立ちました。この二人との別れは、寂しいけれど、はらからにとって希望であり、未来に向かっていく若者たちを応援できたことは、みんなの誇りです。もう一人、はらからで誇りとする青年がいます。高校時代から支援員の助手を続け大学に進み、今では夜勤まで行い、利用者、職員からも信頼されています。はらからの支援理念の一つ『人の支援は関係作りから』を実践してくれた若者です。
 実は、二月二十日~三月九日まではらからはコロナ感染症への対応に取り組んでいました。十九日に利用者一名発症。二十二日職員一名PCR検査で陽性者となり、二十六日利用者一名が発熱し、見なし陽性者となりました。三月九日全面解除。利用者職員みんなで一日一日すべての力を出してコロナに向かっていきました。初めてコロナ発症の現実を体験して混乱もありましたが、多くのものを学んだ日々でした。
 コロナの感染を最小限で抑えられたことは私たちに力を合わせることがどういうことかを教えてくれました。地域の皆様、行政の皆様、保健所の皆様、病院関係の皆様、たくさんお世話になりました。私たちは多くの皆様に支えられ生きていることを改めて気づく事ができました。こころから感謝と御礼を申し上げます。五年目のはらからはコロナから学んだ多くの力を携えて福祉サービス事業へ臨んでいきます。これからもよろしくお願い申し上げます。
 四月、新規職員を十一名迎えます。それぞれの職員が利用者さんたちとどんなドラマを展開していくのか、とても楽しみです。

令和4年4月10日    代表理事 槌屋久美子

槌屋代表、はらからの芝桜をバックに(*^^)v
はらからを卒業
今まで、ありがとうございました。

はらから物語

 現在はらからでは、利用者様29人、職員60人が生活や活動を通して一緒に暮らしています。毎日毎日いろいろな出来事が繰り広げられ、はらはらどきどき、利用者さんのお昼寝の顔にほっと笑顔がこぼれます。『今生きているこの笑顔だけで幸せだね』という職員の声に背中を押されます。

 コロナ禍の生活も長くなりました。日々の小さな出来事に訳もなく不安になり泣きたくなる。つらくて苦しくてたまらなくなる。みんな一緒にいるのにひとりぼっちを感じたり、近くにいる人に感情をぶつけてしまい怒り出す場面なども見られます。利用者さんに家族があり、職員にも家族があります。猫さん犬さん、今はペットも大切な家族です。はらからにつながりのある人たちを数えるとすごい人数になりました。それでも、毎日不安な日々を生き抜いています。暮らしていく生きていく生活していくと言うことはこの繰り返しなんだと思えるようになりました。何年も前にテレビで見たホームドラマのようです。

 高齢の職員が多いはらからでは、物忘れは『普通』です。鍵を忘れる、一つのことで行ったり来たり、時には忘れたことをごまかす事も、はらからでは不思議とこれがまかり通っているようです。本当に利用者さんは心が広い。若い職員たちはあきらめムード。よくつきあってくれているけれど、一緒に暮らすと言うことはこういう事かもしれません。ぶつぶつと毎日小言を言っている方も、偉そうに堅い話を何度も繰り返している方も、職員を指で指図して動かしている利用者の方も、はらからではありのままの日々を重ねています。

 はらからの秋の食卓では、栗、梨、カツオ、新米のおにぎりを食べました。次はどうしても高いサンマを食べようと狙っています。

令和3年10月10日    代表理事 槌屋久美子

槌屋代表、はらから道路脇の植え込みの前で
畑仕事を終えた活動班と一緒に(*^^)v

共に生きる

 『共に生きる』 私は、この言葉とともに福祉の道を歩いてきたと思っていました。

 はらからが始まって3年、コロナ禍の1年間この言葉がどういう意味なのかわかっていなかった事を、つくづく思い知らされる日々です。共に時を過ごしてきた人たちと会えない、両親、子供、孫、大切な人、いつも会っていた人、そばにいてくれた人に会えない、この奇妙ないつもと違った日々が続き、利用者の皆様がどんな変化を起こすのか、心配でした。住まいがあり、食があり、身近に支援者がいて、日々は淡々と過ぎていきました。1日1日を『命さえあれば』と、緊張した日々が続いています。それでも、笑顔で挨拶してくれる利用者の表情は、緊張した職員の気持ちを和らげてくれます。私の心配をよそに利用者は淡々と日々を乗り越えているように見えます。

 広報誌の中に、はらからが大切にしているコーナーが有ります。利用者おひとりおひとりを取り上げた『ヒストリー』です。生まれてからずっと一緒に過ごしてきたご家族からの聞き取りを、これから共に生きていく職員たちが行います。今まで共に生きてきた家族の方から利用者の今までの人生を教えていただく、職員にとっては、大切な時間です。利用者おひとりおひとりの人生を引き継ぐ時間です。

 令和3年4月号の聞き取りが終わったお母様から大切なメッセージをご紹介します。『やっと、生まれてきたこの子に障害があるとわかってとても悲しくて苦しんだのよ。その時、私の父から言われたの、この子を粗末にしたらおまえは罰が当たるぞ、この子を大切にしっかり育てろ、と言われたの、それで目が覚めて、それからは一生懸命今まで頑張ってこられたのよ。』お父様への感謝のお言葉でした。

お爺様はお母様を励まし、お母様は私たちを励ましてくださっているように聞こえました。コロナは、確実に利用者と私たち職員に、共に生きる日々を積み重ねてくれています。

 はらからの役割は、『ご家族から、親御様からおひとりおひとりの人生を引き継ぎ共に生きていく事』このことを改めて宣言して前に進みます。職員集団は、技術も知識もまだまだ未熟です。 だからこそ一歩一歩を大切に努力を惜しまず利用者と共に歩いて行きます。いつかきっと、まっすぐ一緒に歩いて行くことで『共に生きる』という意味を見つけたいと思います。

令和3年4月10日    代表理事 槌屋久美子

白いブランコ

 ピヨピヨのはらからも、3回目の秋を迎えようとしています。始まったばかりの頃みんなで植えた草木が根を張って花を咲かせ、枝を広げてくれています。その庭に先日、ブランコができました。ある利用者と早速腰を下ろし揺れてみました。その利用者がいつの間にか歌を歌い出しました。しばらくその歌を聞きながら揺られていました。二人が、初めてはらからに来たときは、二人ともお互いのことを何も知らない初めてのおつきあいでした。きっと心細かっただろうなと思いました。それが今は、話をしなくても一緒にブランコに乗ると歌を歌ってくれる。『お知り合い』になったんだと思いました。気心が知れて『安心して暮らす』と言うことはこういうことなのかもしれないと思いました。

 福祉の職員は、たくさんの利用者と支援という仕事を通じて知り合います。その利用者のことを知っておく理解しておくことは大切です。アセスメントと言う情報、面談聞き取りたくさんの資料を作り準備をしてお迎えをしますが実際は、暮らしてみなければわからない事がほとんどです。雨の日も風の日も、災害の夜も、コロナ渦の中も、利用者とともに積み上げていく日々がとても大切に思えます。今はらからは、若い職員を中心に今までの記録の整理をしています。2年半、1000日の手書きの記録です。未熟でも、言葉が少しおかしくてもこつこつ刻んだ記録には、確実に振り返りの大切な発見が読み取れます。利用者一人一人のことが少しわかってきました、利用者にとってはそれぞれの職員の『おひとがら』がだいぶわかってきたようです。 

 これからその安心できるお知り合い同士、利用者と職員、ブランコに揺られながら秋を大いに楽しんでもらいたいと思います。

代表理事 槌屋久美子

大切な日々

 はらからは、世界中に広まっている新型コロナウイルスの流行の影響で慎重に慎重に毎日を過ごしております。利用者、家族、職員、みんなが我慢を試されているような、マスクの工夫、手洗い、施設内の消毒、検温、水分補給、運動、食事のバランス、換気、できる限りの予防対策を行い、じっと過ぎ去るのを待つ日々です。どうか、どうか、みんなが元気で一日一日が過ぎますようにと思う日々です。

 何もない日々の大切さは、東日本大震災を経験した人たち皆さんが口にされる言葉です。今私たちははらからの日々の中で利用者一人一人がそれを教えてくれます。ご両親が高齢で感染が心配され帰宅できなかった利用者の方がいました。両親にはお電話で様子を知らせたりしていましたが、どちらも会えない日々が長くなり気落ちの落ち込みが見られたため外出しない約束で利用者の方を家まで送りました。そのとき、その利用者の方が見せた仕草に私たちはびっくりしました。その利用者が送って行った職員に深々といつまでも頭を下げるのです。こんなに会いたかったんだ。在宅でご両親と五八歳まで暮らし、グループホームに入居された方です。当たり前のことですがその姿に胸が熱くなリました。

 親が子に会いたい、子が親に会いたい。このささやかな思いを大切にしてあげなくてはいけないのだと改めて思います。はらからは、四〇歳以上の中高齢者のグループホームを作っていきます。親子の時間を応援できる支援ができるようになりたいと思います。翌日、様子を見に行くと親子三人でテーブルを囲みお茶を飲んでいらっしゃいました。何もない毎日こうやって親子でご飯を食べ、テレビを見て、笑って、怒ったり、泣いたり、喧嘩したり、毎日が何もない大切な日々です。改めて幸せのあり方を教えていただいた気がします。

代表理事 槌屋久美子

新年あけましておめでとうございます。

昨年は、開所以来多くの皆様に応援いただき夢中で過ごしてきたはらからです。いっぱいお世話になりました。心より感謝申し上げます。まだまだ未熟なはらからですが、みんなで力を合わせて頑張りたいと思います。今年もよろしくお願い申し上げます。

昨年は、開所の年ということもあり、まずは生活介護和音とグループホームの体制作りに取り組みました。

何から何まで初めての事、本当に『私たちは何も知らなかったんだ』と思う場面が多く反省ばかりの日々でした。東山科へ毎日の歩行、地域の公園への歩行、地域新聞のポスティング、自立課題への取り組み、草山の除草から始まった畑作業、それぞれの活動やグループホームでの生活のあり方が定着してきたのは秋頃でした。保護者の皆様へ思いや地域の皆様とのかかわりなどが、なかなか取り組めませんでした。そんな反省の日々の中、暮れになって、地域の自治会館へ挨拶に伺うと『みんなよく歩いているね。』『みんな挨拶してくれるよ。』『一生懸命話してくれる。』『みんなが笑っていて気持ちがいいよ。』『歩いて来るのを楽しみにしているよ。』と思いもよらないお言葉をいただきました。利用者の懸命に歩く姿を見守ってくださっている地域の皆様がいました。あー私たち職員が気が付かないことを利用者がやってくれていました。これが地域で暮らすということ『地域交流』だと思いました。重度の障害を持った利用者が、地域で暮らすという意味が少し見えてきた瞬間でした。

すべてのことは、利用者が教えてくれます。私たち支援者は、一人一人の利用者と正面から向き合うことを大切に今年も歩いていきたいと思います。はらからの歴史は始まったばかりです。一日一日の生活を大切にみんなで生きていきたいと思います。日々の出来事ではらからの歴史を作っていきましょう。

平成31年1月10日    代表 槌屋久美子

平成30年度スタートに寄せて

はらからがオープンして一ヶ月が経ちます。毎日何を食べさせようか、洗濯、掃除、着るもの、履くもの、ゆっくりお風呂に入れているか、眠れているか、うんこが出ているか、水分は取れているか生活のことに追われている毎日です。

昔、ずっと昔、私が障害児の施設で働いていたころ、昭和四十年代のお話です。八木先生は開襟シャツに三角巾を頭にかぶりスタスタと二寮の中をあっちへこっちへと動き回り働いていらっしゃいました。その姿が今でも目に焼き付いています。口癖は、「生活が大事なの」でした。あの頃私は若くて子供たちをどうやって遊ばせようか、どうしてどこにも遊びに連れていけないのか、そんなことばかり考えていました。今、はらからがオープンして一ヶ月、八木先生の「毎日の生活が大事」あの言葉が身に染みています。トイレ掃除は一日三回、毎食後の排泄の後、朝は子供たちが外へ行くと、窓を全開にして寮全体の掃除、布団干し、子供たちが帰ってくると、おやつ、入浴、手洗いや歯磨き、当時は足洗いもありました。靴もよく洗いました。寮の奥に古い洋服ダンスが並べてありました。小綺麗な服、下着から上着、靴まで子供たちの名札を付けて、外出着が季節ごとに入れ替えて下げられていました。外出や通院時は、きちんとした服装で、畳み上げからワックスまで何から何までやりました。それが生活を支えるということだと分かったのは、本当につい最近です。
出来るだけ普通の生活をさせたいということ、それが私たちの仕事です。はらからは当たり前の生活を大切にしていきたいと思います。地域の皆様、家族の皆様、スタッフの皆様、よろしくお願いいたします。

春野菜が安くなってきました。本当に助かります。キッチンスタッフの作る料理に感謝しています。ありがとうございます。

代表理事 槌屋 久美子

グループホームはらから
デイサポート和音

【ここから】です

【ここから】始まります。
【ここから】にはたくさんの思いが詰まっています。

【ここから】で地域相談支援事業を始めます。
障害のある方が、未来への一歩を踏み出せるように【ここから】応援します。

はらからの思いがカタチになっていくことを、【ここから】支えます。
はらからで働く人が、はらからの利用者の笑顔を守れるように、【ここから】支えます。

障害のある人もない人も、はらからで働く人もそうでない人も、家族も家族ではない人も、地域の人もみんな、はらからの笑顔を【ここから】支えます。


【ここから】の庭にはたくさんのお花を咲かせていきたいと思います。
世界で一つだけの花をたくさん。
祭り花
クリスマスローズ
ハーブ
ページの先頭へ